伝説の芸人たち

『食いだおれ』と呼ばれている大坂は、食べ物だけではありません。芸の街としてもとても有名。そんな中でも語り継がれている豪快で魅力的な芸人さんも数々おられます。是非ともそんな芸人さんの歴史を感じながら大坂を楽しんでください。

◆芸のためなら女房も泣かす『初代 桂春団冶』

リアルタイムで顔を知らなくても『桂春団冶(かつらはるだんじ)』の名前は、一度は耳にされたことがあるでしょう。『桂春団冶』は先代・初代・二代目・三代目と続きますが、なかでも有名なのが初代です。もとは上方落語の咄家でその話術は天才と呼ばれていました。古典落語にギャグを取り入れるなど、新しい風を吹き込みその大胆さと巧さでものすごい人気となりました。

また『桂春団冶』の名を広めたのは落語だけではなく、その破天荒な生き様です。飲む・打つ・買うの派手さは有名で演劇や歌にもなっています。先妻と別れたあと裕福な後妻のもとに婿入りしますが、その莫大な財産も使い果たし借金まみれになったことから「後家殺し」という言葉が生まれたとも言われています。

しかし、その人格は情に厚く茶目っ気と洒落がきいていて誰からも愛されたそう。人気はここにも理由があったのですね。法善寺筋にあった寄席で人気が出ましたが、のちに吉本興業に移籍します。その吉本興業にも逆らい「自宅家財差し押さえ」されるなど、そのハチャメチャぶりが更に人気に拍車をかけました。

◆喜劇王『藤山寛美』

『藤山寛美(ふじやまかんび)』は松竹新喜劇の看板役者、大スターでした。白塗りの顔に、鼻の頭を赤くしたマヌケな人物を演じる『阿呆役』は特に絶賛されました。素顔でも穏やかな物腰と風貌で世から愛されましたが、その外見からは想像もつかないほどの型破りな金遣いの荒さでも有名でした。

キャバレーのボーイに自分の車の鍵を渡し、車一台をチップにするなどの逸話を数々残すも、その豪遊ぶりに自己破産までしてしまいます。そのとき松竹新喜劇も解雇になりますが『藤山寛美』が抜けたあと客足はガタ落ちになりました。根負けした松竹は負債を立て替え『藤山寛美』を呼び戻します。そして再び松竹新喜劇を立て直し、その名を不動のものにしました。

他人の巨額な借金を肩代わりするなど、その後も金銭の苦労は絶えませんでしたが、全ての負債を返済し世間を驚かせました。また恨み言一つ言わず、かつてと変わらず大金を振舞うさまは亡くなった今も語り継がれています。

◆愛に生きた『ミヤコ蝶々』

大坂の女芸人として有名なのは『ミヤコ蝶々(みやこちょうちょう)』でしょう。見た目は小柄で可愛らしい雰囲気ですが、カラッとした性格と辛口コメントの人気で知られています。

父親の影響で一座の座長をつとめるなど、子供の頃からかなりの芸達者でした。吉本興業に入った後は『三遊亭柳枝(さんゆうていりゅうし)』と結婚、離婚のあと弟子であった『南都雄二(なんとゆうじ)』とコンビを組み夫婦漫才を始めます。

男勝りのサッパリしたイメージから、芸一筋と受け取られがちですが、実は情が厚く愛に翻弄された女性でもあります。一人目の夫『三遊亭柳枝』とは不倫の末の結婚、いわゆる略奪愛で結ばれます。しかし、女性関係が激しいことで知れた夫でした。結婚した時点で三人の愛人がいたと言われており、一度目の結婚生活は三年で終わってしまいました。

二人目の夫(事実婚であったとも言われています)『南都雄二』もかなりの二枚目で大変な遊び人でした。『キタの雄二(南都雄二)か、ミナミのまこと(藤田まこと)東西南北、藤山寛美』と言われるほど

豪遊ぶりは有名でした。その夫に惚れ込みガード下の小さな部屋で結婚生活を始めたのは語り草になっています。 『ミヤコ蝶々』自身もヒロポン(覚せい剤の一種)に手を染め、重度の中毒になり入院するなど苦労が絶えません。依存症から立ち直って克服した後、テレビ番組『夫婦善哉』が大ヒット。素人の夫婦を毎週ゲストとして結婚生活をインタビューするトーク番組で、司会を務めた『ミヤコ蝶々』と『南都雄二』はおしどり夫婦として名声を得ました。

番組絶頂期の頃、私生活では夫『南都雄二』の女性遊びが原因で結婚生活を解消します。しかし、その事実を伏せ夫婦として番組を続けていたことでマスコミをにぎわせました。世間に離婚が公表された後も、人気は衰えずそのまま二人で番組の司会を続けました。それほど、不動の人気があったのです。

夜の豪遊がたたり元夫『南都雄二』は糖尿病を患い、入退院を繰り返します。別れたあとも、身寄りのなかった『南都雄二』の面倒を彼の最期まで見続けました。『ミヤコ蝶々』は本当に愛情の深い人だったのです。

その後も一人で『夫婦善哉』の司会は続け、舞台、テレビドラマなど女優としての才能も発揮します。1984年に紫綬褒章、1993年勲四等宝冠章を受賞するなど素晴らしい実績を残します。独特の通る声と辛口の蝶々節は衰えることなく、惜しまれながら80歳の生涯を終えました。

本当に大坂には豪快で伝説になっている芸人たちがたくさんいます。その芸人たちの共通点は情が厚く人情にもろく、どこか憎めない人柄を持っているようです。大坂のあちこちに伝説になった芸人たちが残した足跡があります。そんな情緒を楽しみながらの大坂観光も素敵ですね。

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